こんにちは!星宮りょうです。
今回は、カードの意味ではなく、カードが日本に入ってきた道筋を見ていきます。
最初に、少しだけ注意しておきたいことがあります。日本のタロット受容史は、占星術や手相ほど年表化されていません。断片的な書誌、雑誌文化、古書、復刻本、学術論文、当時を知る人の証言をつなぎ合わせて、ようやく輪郭が見えてくる領域です。
だから本稿では、「日本初のタロットはこれです」と強く断定するより、確認しやすい資料を足場にしながら、タロットを受け入れる土壌がどのように育ったのかを見ていきます。星の樹らしく言えば、これは一枚のカードではなく、何枚ものカードが並んで初めて見えてくるスプレッドのような歴史です。
日本のタロット史は、「西洋から来た不思議なカード」が、出版・雑誌・少女文化の中で、少しずつ日常の言葉へ翻訳されていく物語です。
1.明治にタロットが流行した、とは言いにくい
「明治オカルトブームから」と聞くと、明治時代にタロット占いが流行していたように感じるかもしれません。けれど、少なくとも一般向けの占い道具としてタロットが広く使われていた、と言える資料は今のところ見つけにくいです。
では、明治期はタロット史と無関係なのでしょうか。そうでもありません。タロットそのものより先に、日本には「西洋の不思議を、近代の知として受け取る回路」が入ってきました。心霊研究、催眠術、心理学、透視、念写、怪奇現象。こうしたものが、新聞や書物を通じて、科学と神秘の境目にある話題として広がっていきます。
国立国会図書館の「千里眼事件とその時代」では、明治43年、つまり1910年から翌年にかけて起こった千里眼事件が、新聞報道を巻き込みながら社会的なブームになったことが紹介されています。御船千鶴子、長尾郁子、福来友吉といった名前は、近代日本が「見えない力」をどう扱おうとしたかを考えるうえで欠かせません。
ここで面白いのは、当時の千里眼や念写が、単に古い迷信として語られたわけではないことです。X線や放射線など、目に見えない力の発見が続いた時代に、人々は「まだ科学が説明しきれていない現象があるのではないか」と期待しました。つまり明治末のオカルトは、反近代というより、近代科学への期待と不安の裏側に生まれたものだったのです。
タロットは、この段階ではまだ主役ではありません。しかし、カードをめくって見えない意味を読むためには、「目に見えるものの奥に、別の秩序があるかもしれない」と感じる文化的な感受性が必要です。明治末の千里眼ブームは、その感受性の受け皿を作った出来事として見ることができます。
2.戦後から60年代へ──西洋魔術が本棚に現れる
次に重要になるのは、戦後から1960年代にかけての出版文化です。日本では、ヨーロッパの魔術、秘密結社、錬金術、占星術、タロットといったテーマが、文学的・幻想的な読み物として紹介されていきました。
象徴的な一冊として、澁澤龍彦『黒魔術の手帖』があります。国立国会図書館の書誌では1961年刊行とされ、後年の文庫紹介でも、黒ミサ、錬金術、タロット、占星術などを扱った先駆的なエッセイ集として位置づけられています。
ここでのタロットは、まだ「誰でもすぐ占える実用カード」というより、ヨーロッパの怪奇・神秘・芸術の香りをまとった知的な道具でした。暗い書斎、黒い装丁、秘密の象徴、文学的な悪魔趣味。そうした雰囲気の中で、タロットはまず「西洋の神秘を感じさせるイメージ」として日本語の読者の前に現れます。
この段階の受容は、今の私たちがスマートフォンで毎日タロットを引く感覚とはかなり違います。タロットは、まだ日常の相談道具ではなく、少し遠く、危うく、知的で、妖しいものだったのです。
3.1970年代、オカルトが大衆文化になる
1970年代になると、日本の空気が変わります。UFO、超能力、ノストラダムス、心霊写真、こっくりさん、古代文明、魔術、占星術。テレビや雑誌を通じて、オカルト的な話題が一気に大衆化しました。
J-STAGEで公開されている大道晴香「マス・カルチャーとしてのイタコ」では、1970年代から80年代のオカルトブームが、民俗的な宗教者であるイタコのイメージを大衆文化の中で作り替えていったことが論じられています。また一柳廣孝「心霊主義の受容」では、つのだじろう作品などを通じて心霊主義が1970年代の少年・若者文化に浸透した流れが扱われています。
つまり70年代のオカルトブームは、タロットだけの出来事ではありません。むしろタロットは、UFO、超能力、心霊、魔術、占星術といった大きな「不思議」市場の中で、ひとつのカードとして配られたのです。
1979年には、学研から『ムー』が創刊されます。webムーの前夜譚記事や複数のインタビューでも、1970年代の大衆的なオカルトブームの延長線上に『ムー』の創刊があったことが語られています。『ムー』はタロット専門誌ではありませんが、オカルトを「怪しい噂」ではなく、読み物として楽しむ場を作りました。
ここで、タロットが日本で広がるための重要な条件がそろいます。ひとつは、オカルトを読む読者層。もうひとつは、カードや図版を印刷して届ける出版流通。そして三つ目は、「占いを自分でやってみたい」という実践欲です。
4.1974年と1980年──タロット入門書の時代
一般読者が実際にタロットへ触れるうえで、入門書の存在は大きな役割を果たしました。国立国会図書館の書誌では、辛島宜夫『タロット占いの秘密』が1974年刊行として確認できます。CiNii Booksでは同書について、1979年の45版の注記として、箱入りの「新釈エジプト風タロット・カード」78枚が付属していたことも記されています。
この情報はとても重要です。なぜなら、タロットは本だけ読んでも始めにくい占いだからです。カードが手元にあって、並べ方がわかり、各カードの意味が説明されている。ここまでそろって初めて、読者は「自分でもできるかもしれない」と感じます。
さらに1980年には、国立国会図書館の書誌で葵和歌『タロット占い入門 あなたの未来を予言する不思議なカード オリジナルカード付』が確認できます。タイトルからもわかる通り、当時のタロットは「不思議なカード」「未来を読む道具」として紹介されていました。
ここで、タロットは書斎の神秘から、読者の机の上に降りてきます。カードを切り、並べ、意味を読む。1970年代から80年代にかけて、タロットは「知るもの」から「試すもの」へ移っていったのです。
5.1979年、『My Birthday』が少女たちの入口を作る
タロット日本伝来史を語るうえで、少女向け占い雑誌『My Birthday』は外せません。国立国会図書館の書誌では『My birthday = マイバースデイ』は1979年から2006年まで続いた雑誌として確認できます。説話社の紹介でも、1979年4月号から27年間発行が続いた占いの月刊少女雑誌と説明されています。
『My Birthday』が画期的だったのは、占いを「怖い予言」ではなく、「少女の日常の悩みに寄り添う言葉」として届けたことです。恋、友情、クラスの人間関係、自分の性格、明日の運勢。そこに星占い、心理テスト、おまじない、タロットが並びました。
実業之日本社の復刻本『大人になった少女たちへ! My Birthday』の紹介では、まつざきあけみのタロットカード78枚の完全復刻、神秘のタロットカード占術、魔法やおまじないの特集などが掲げられています。ここから見えてくるのは、タロットが80年代の少女文化の中で、単なる占い道具ではなく、イラスト、付録、手づくり、恋のお守り、魔女的な憧れと結びついていたということです。
橋迫瑞穂「『占い・おまじない』と少女」では、1980年代に少女たちの間で流行した占い・おまじないが、学校での人間関係の軋轢に対応する手段であり、自己を位置づける地図として機能したことが論じられています。これは、タロットが日本で受け入れられた理由を考えるうえで、とても大きなヒントです。
日本の少女向け占い文化におけるタロットは、「あなたの運命を一方的に告げる怖い札」ではありませんでした。むしろ、言葉にしづらい不安、好きな人との距離、友だちとの微妙な空気、自分でも説明できない気持ちを、カードの物語に仮置きするための道具でした。
6.80年代少女漫画まで──タロットは絵柄で日本化した
80年代のタロット受容を考えるとき、「少女漫画」という言葉は、特定の一作品だけを指すより、絵柄と媒体の感覚として捉えるとわかりやすいです。
大きな瞳、細い線、花や星、ロマンチックな衣装、異国趣味、魔法、妖精、前世、運命の恋。80年代の少女向け雑誌や漫画文化には、タロットの象徴と親和性の高いビジュアルがたくさんありました。ウェイト版やマルセイユ版のような西洋由来のカードは、そのままでは少し硬く、古く、宗教的に見えることがあります。しかし少女漫画的な絵柄と出会うことで、タロットは急に「自分の部屋に置ける神秘」になりました。
これは、日本独自の大きな翻訳だったと思います。西洋のタロットには、キリスト教、カバラ、占星術、錬金術、近代魔術の重い象徴体系があります。けれど日本の少女向け占い文化では、それらがすべて学術的に説明される前に、まず「絵として好き」「付録として欲しい」「友だちと試したい」という入口が作られました。
この入口は、専門家から見れば軽く見えるかもしれません。しかし、文化が広がるときには、軽やかさこそ強いのです。重い思想は、手に取られなければ伝わりません。少女漫画的なタロットは、難しい象徴を、読者のノート、机、筆箱、切り抜き、付録カードの世界へ運び込みました。
そしてこの流れは、現在の日本のタロットにもつながっています。美しいオリジナルデッキ、漫画家やイラストレーターによるカード、キャラクター性の強いデッキ、かわいらしい解説書。日本のタロット文化は、専門知識とビジュアル文化のあいだを、とても器用に行き来してきたのです。
7.日本でタロットは何に変わったのか
ここまでの流れを整理すると、日本でタロットは三回、大きく姿を変えています。
一つ目は、明治末から戦後にかけての「西洋の不思議」としてのタロットです。心霊、魔術、黒魔術、占星術と並ぶ、遠いヨーロッパの神秘。ここでは、タロットは知的で妖しいイメージをまとっていました。
二つ目は、1970年代のオカルトブームにおける「実践できる占い」としてのタロットです。入門書やカード付きの本によって、読者は自分でカードを並べることができるようになりました。タロットは読む対象から、使う道具へ変わります。
三つ目は、1980年代の少女向け占い文化における「心の地図」としてのタロットです。恋や友情の悩み、自分らしさへの不安、学校という小さな社会の中での立ち位置。そうした日常の感情を、カードが受け止めるようになりました。
この三つが重なっているから、日本のタロットは面白いのです。西洋神秘思想としての深さもあり、オカルトブームの熱もあり、少女雑誌のやわらかさもある。高尚な象徴体系でありながら、付録カードで友だちと占う遊びでもある。この二重性、三重性こそ、日本語圏のタロットの魅力だと思います。
8.東洋西洋比較の続編として見るなら
以前の東洋と西洋の占い比較では、日本の占いが「流れを読む」感覚を持ち、西洋の占いが「象徴を読み解く」性格を持つ、という話をしました。
日本に入ってきたタロットは、まさにこの二つのあいだで再解釈されました。西洋から来たカードは、本来、象徴の体系です。愚者、魔術師、女教皇、塔、星、月、太陽。そこには、占星術や近代オカルトと結びついた分厚い意味の層があります。
けれど日本の読者は、それを完全に西洋の文脈だけで受け取ったわけではありません。おみくじのように引き、手紙のように読み、お守りのように持ち、漫画のように眺め、友だちとの会話のきっかけにしました。タロットは、日本の「日常に神秘を混ぜる」感覚と出会って、独自のやさしさを帯びたのです。
これは、タロットが薄まったという意味ではありません。むしろ、異文化が本当に根づくときには、必ずその土地の言葉や習慣に翻訳されます。日本のタロットは、ウェイトやダメットの本だけでなく、学年誌、少女雑誌、付録、漫画的な絵柄、占い師たちの語り口によって育てられてきました。
9.星の樹がこの歴史を大切にしたい理由
星の樹は、ウェイト版タロットを中心にカードの意味を解説しています。ですが、ただ西洋の知識をそのまま日本語に置き換えるだけでは、少し足りないと感じています。
日本でタロットを読む私たちは、すでに日本語の占い文化の中にいます。おみくじを引いた経験、神社で手を合わせた記憶、雑誌の星占いを読んだ朝、少女漫画やアニメで見た運命的な絵、友だちと占いを試した時間。そういう記憶の上に、タロットの象徴を重ねています。
だから、タロットを深く学ぶことは、西洋神秘思想だけを学ぶことではありません。日本の読者がそのカードをどう受け取り、どう生活の中へ入れてきたのかを見ることでもあります。
タロットは、未来を断定するための道具ではありません。カードを通して、いまの自分が何を感じ、何を恐れ、何に惹かれ、どんな物語を選ぼうとしているのかを見つめるための鏡です。
その鏡が日本に届くまでには、明治末の千里眼ブーム、戦後の幻想文学、1970年代のオカルト熱、1980年代の少女向け占い文化という、いくつもの反射面がありました。カード一枚の向こうには、思ったより長く、にぎやかな旅路があります。
次にタロットを引くとき、少しだけその旅を思い出してみてください。あなたの手元のカードは、遠い西洋から来た象徴であると同時に、日本語の読者たちが何十年もかけて、自分たちの悩みや憧れに合わせて育ててきた、小さな文化史の結晶でもあるのです。
日本のタロット文化の面白さは、重い西洋神秘思想を、日常の相談、雑誌の付録、少女漫画的な絵柄へ翻訳してきたところにあります。カードは海を渡ってきましたが、読み方は日本語の生活の中で育ちました。